「東洋と西洋」、「アジア視点」

 横浜国大のグローバルCOEプログラム「アジア視点の国際生態リスクマネジメント」では、「アジア視点」について議論をしてきました。私の考えるところでは、アジア視点と西洋視点との違いは大きく、その差はどうやら社会心理学的なもののようです。それは例えば、R.ニスベット『木を見る西洋人、森を見る東洋人』(ダイヤモンド社、2004年)に描かれています。
 この本では、「西洋人の視野はトンネルのように狭い」とまで結論しています。これは考え方にも当てはまり、いわば、西洋人は望遠レンズ的、東洋人は広角レンズ的、だといいます。
 このような差が生じた原因は、西洋については古代ギリシャの分析的で理想を求める哲学、東洋については古代中国の総合的で現実的な哲学にあると、ニスベットらは考えています。
 またどうやら、社会心理学的な差は、脳の構造や機能にも現れているようです。というのは、脳にある「ミラーニューロン」の働きが、東洋人と西洋人で違うことが分かってきているからです。ミラーニューロンは、他者の表情や行動の真似をするときに働きます。それがなぜ重要かと言うと、人が他人の感情や感覚を理解するときに、ミラーニューロンの働きが必須だからです。ミラーニューロンは、他人の表情や動作のコピーを脳や神経、そして筋肉に引き起こします。それによって、我々は他者の感情や感覚を、まさに身をもって知り、理解したり共感したりすることができるというのです。
 『ミラーニューロンの発見』(ハヤカワ新書)の中で、M.イアコボーニは、次のように書いています。
「残念ながら、西洋文化個人主義的、唯我論的な考え方に支配されていて、その枠組のもとでは自己と他者との完全分離が当たり前のようにできると思われている。」
 つまり、このような特性を持った西洋的文化の中にいると、ミラーニューロンの働きが弱くなり、他者の感情を理解したり、共感したりする能力が減ることになるようです。
 またこれは、人間と自然との関係にも言えそうです。東洋人の中には、木が切られるのを見て、「痛そうで可哀そう。」と感じる人も多いといいます。これは、共感能力、すなわちミラーニューロンの働きが強いからでしょう。これに対して、自然と人間を切り離す(そもそも「自然」は古代ギリシャの発明だそうです)という西洋的な環境観では、木にこのような感情は持ちにくいでしょう。環境破壊や、環境改造は、このような感じ方の産物だと思います。
 社会や技術をこのような観点から見ると、今までに分からなかったことが見やすくなると思います。今回の原発事故や、地球温暖化問題ついても、このような見方は有用だと考えられます。